新富町職員ブログ
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2017年11月29日 秋祭り

今回のブログは、会計課の河野が担当します。

私の住んでいる地区の神社で秋祭りがありました。
毎年曜日に関係なく、11月18日に開催されます。
以前は前日に準備をしておりましたが、
時間の自由のきく仕事の地区の者が少なくなった関係で
直近の日曜に準備をしています。
また、このときに神社の鳥居や社殿にかける
しめ縄もあらたに作り直します。

氏子総代の指示の下、戸番(こばん)代殿(でどん)がうごきます。
戸番は地区の者が順番に毎年交代で祭りの準備をする役です。
台殿は数年交代で毎月の神社の掃除。
祭りの準備幟立てをします。
私は10年ぶりぐらいに戸番として準備に参加しました。

しめ縄は藁を千歯ですき、槌で藁を叩きしめ縄にしていきます。
神社の広場前の大木にロープにかけ、
しめ縄の端から少しずつ藁を足し中央が太くなるように調節します。
私も含め、普段、藁に触ったことのない人間ばかりでしたので、
地区の大先輩にご指導にあたっていただきました。
一つ目のしめ縄ははじめなかなかうまくいかず、
50センチ程度締めては少しほどいてやりなおしで仕上がるのに2時間近く要しました。




       
しめ縄に藁を継ぎ締める役が三人。
藁を渡す役が三人。しめ縄が回らないように抑える役。しめ縄を引き上げる役。
そして大先輩のご指導でどうにか形になりました。
後のしめ縄は順調に仕上がりました。
出来上がったしめ縄は、はみ出た藁を切り整え飾りをつけて鳥居と社殿にかけられました。
私の地区の祭りでは、新田神社の神楽が舞われます。

その神楽の見せ場に「蛇切」といわれる
大蛇に見立てた藁の大蛇を刀で両断する場面があります。
その大蛇をしめ縄の次に作りました。
藁が短いため縄を芯にして大蛇の胴をねっていきます。
藁を足すとき、しめ縄は藁がはみ出ないように気を付けましたが、
蛇のほうは藁をわざとはみださせて作っていきます。
はみ出たところは鱗なのだそうです。
最後に蛇の頭は、今回の祭りの役でない大先輩方に作っていただき胴に取り付けました。


 
祭りの当日予報通り雨で神社の隣の農家の倉庫をお借りして祭りをすることになりました。
祭りの道具の材料になる竹を切りに行き、
集会所では接待料理の準備がすすめられました。
新田神社の神楽の伶人の方が来られ、
小刀一つで神楽で使う道具や地区にくばるゴヒを作られました。

舞殿の準備が済み昼食後、厄年の地区の者の厄払いが行われ神楽が始まりました。
私が厄年の時は訳も分からず、衣装に面をつけ
すりこぎのような棒を持って同じ厄年の者を追いかける
子孫繁栄の役をしましたが今年はありませんでした。

夕方近くになって「蛇切」が始まりました。
雌雄の大蛇が舞殿中央で交差して引き出され、
刀を持った舞い手が何度も大蛇をまたぎ越えます。
刀を抜き、藁の大蛇の鱗をそぎ落としおとしてゆきます。
笛・鐘・太鼓が場を盛り上げます。
刀を振りかぶり大蛇を両断するかと思いきや切らず見物人から声が出ます。
そしてついに、一刀のもとに大蛇を真っ二つにして拍手が上がりました。


 
最後の舞いの前に、舞台の中の道具のひとつに
天岩戸を模したという、四角の竹の枠に紙を貼ったもののいわれについておはなしがありました。
鍵穴のしるしのあるものをもって帰ると、子宝に恵まれるとのことです。
私も厄年の年に持ち帰りましたが、何か意味があるのか知りませんでした。



↑天岩戸を模したもの     



↑ゴヒ

神楽終了後厄年の方々によるせんぐまきがあり、
地区の各家にゴヒが配られ無事祭りは終わりました。

こうした行事があることはいいことだなと思っています。
亡くなった祖父が戦前には、臼太鼓踊りをしていたという話を聞いたことがあります。
今はありません。
こうした行事がなくなってしまうことは寂しいことだと思います。
準備等大変なことはありますが、これからも続いていけばと思います。
一人で思っていても地域の気持ちがなければいけないので、
地域を大事にしていきたいと思います。


みなさんこんにちは、町民こども課の沼口です。

先日、11月12日に開催されました
「壮年ソフトボール大会」についてご紹介したいと思います。

新富町では例年、各種スポーツ大会やスポーツ教室が開催されていますが、
ソフトボール大会については、
5月に開催される「自治公民館ソフトボール大会」と
11月に開催される「壮年ソフトボール大会」があります。

今回の壮年ソフトボール大会は、「新富町体育協会」主催の元、
開催40回を数え、新富町の伝統あるスポーツ大会の一つとなっています。
平成21年度から平成23年度までは、参加チーム20数チーム、参加者350名を越えていましたが、ここ数年では参加十数チーム、参加者250名弱となっており減少傾向にあります。

私の出身地は上新田ですが、
現在の住まいがある平田地区の自治会に加入しており
今回は、平田地区代表として出場しました。
当日は、天候にも恵まれ最高の大会日和となりました。

 

壮年ソフトボール大会の参加条件は、
平成30年4月1日現在で40歳以上の男子となっており、
5月の自治公民館ソフトボール大会と比較すると、ご高齢の方が増えております。
※かく言う私も、数年前に40歳の大台を越えており、明らかに体力の衰えを感じております。笑

  

今回の大会は全体参加チーム15チームで、
富田浜広場、日置運動広場、新田運動広場の3会場に分かれて試合が行われました。

私たち平田地区は、日置運動広場にて新町地区、田中地区の2チームと試合を行いました。


 
1試合目は、みなさん、体がまだ温まっていなかったのか、動きも若干(?)鈍かったように感じました。
あるチームメンバーの方は、
「1塁から2塁に走るときに足が重く、途中で「竹の子」が生えているかのようにつまずいたわ!」
と話されていました。

しばらくすると体が暖まって調子が上がってきたのか、
地区のメンバーは軽快な動きで、ほぼ全員がヒットを打ち、
14得点を奪う猛攻を見せ、勝利することが出来ました。 

 

二試合目は、あと1勝するとパート優勝するということもあり、
ベンチの中にも少しばかりの緊張感が漂っていました。
試合は、1回に相手チームに1点を取られると、
次の回に平田チームが2点を取り返すというような一進一退の攻防戦となり、
和気あいあいとしたゲームのなかにも緊張感漂う試合となりました。



残念ながら、我が平田チームは4対2で敗れてしまいましたが、チームからは
「久しぶりに体を動かしてすっきりした。ただ、この年になると明日と明後日が怖い・・・」というような切ない声も。笑


 
私自身も久しぶりに地区の方とスポーツを通して
楽しい時間を過ごすことが出来ました。
もちろん、大会でいただいた飲み物を片手に、集会所にてしっかり反省会を行いました。笑

ぜひ、皆さんも、このようなスポーツイベントに参加して、
健康の増進と図るとともに、町民の方との楽しいふれあいの時を過ごしてみませんか?


皆さん、こんにちは。
今回のブログは、福祉課の森川が担当します。

朝晩の冷え込みが激しくなりましたね。
体調に十分気をつけてお過ごしください。
(ちなみに私は先々週高熱を出してしまいました。皆さん気を付けましょう!)

さて、今回は私もやっている「神楽」について、知識の範囲内で紹介させていただきます。
神話の里宮崎と呼ばれるだけあって、ここ新富町にもいくつか神楽があります。
私はその中の1つである「新田神楽」という神楽をしています。


 
新田神楽は毎年2月17日に大祭があり、
早朝から夕方まで一番から三十三番の神楽を全て奉納します。
聞いた話ですが、三十三番全てが現在でも残っている神楽は、
全国的に見ても珍しいそうですよ。

 
こちらは、新田神楽で使用される面です。
中には「安政」の文字が彫られているものもあり、
新田神楽が江戸の幕末より前から存在していたことがわかります。
歴史ある文化が新富に残っているなんて、なんだか嬉しくなりますね!

神楽はただ見るよりも、
舞が表現している背景を知っている方が楽しめると思いますので、
1つご紹介しますね。

 
これは、「戸開き(戸隠し)」という舞です。
新田神楽の目玉「綱切(蛇切)」の後の舞で見逃しがちですが、
ストーリー的には結構重要です。

あらすじは以下のとおり

天照大神(アマテラスオオミカミ)が
弟である須佐男尊(スサノウノミコト)の荒れっぷりにショックを受け
天岩戸の奥に引きこもってしまいました。
天照大神は太陽の神だったため、世界は真っ暗になってしまいました。
世界に光を取り戻すため、戸開きの明神は暗闇の中、
天岩戸を開くために立ち上がるのでした。

ざっくりですが、だいたいこんな感じです。

ここからが重要なのですが、この舞、
暗闇の中ということを表現するために、常に首を振り続けます。
そのため、全体的に激しいと言われている新田神楽の中でもかなり激しい舞になってます。
10分程度の舞ですが、きつい。かなりきつい。
みなさん、見る機会があったら
面の裏で必死に歯を食いしばっている舞手を温かく見守ってください。
そして、温かい拍手をよろしくお願いします。(笑)

神楽のような無形文化は、いつなくなってもおかしくないものです。
現代まで残っている貴重な文化や芸能に、
たまには触れてみるのもいいかもしれませんね。


※「用語解説」内のリンクについてのご質問やご要望は、ウェブリオまでお問い合わせ下さい。