新富町職員ブログ
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2016年3月9日 新富町の石仏散歩

福祉課の若木家(わかきや)です。

今回は、『石仏散歩』として六地蔵を紹介します。
六地蔵は、寺院や墓地の入り口などにみられる石仏です。
六地蔵は、仏教の六道輪廻(ろくどうりんね)の思想である“全ての生命は6種の世界に生まれ変わりを繰り返すとする”に基づき、六道のそれぞれを6種の地蔵が救うとする説から生まれたものです。
六道とは、仏教において迷いあるものが輪廻するという、6種類の迷いある世界のことで、天道(てんどう、天上道、天界道とも)、人間道(にんげんどう)、修羅道(しゅらどう)、畜生道(ちくしょうどう)、餓鬼道(がきどう)、地獄道(じごくどう)のことです。

六道には、次のように六地蔵が配置されている場合が多いとされていますが、新富町では、必ずしもこのとおりとはなっていないようです。
 地獄道 …  檀陀(だんだ)地蔵 又は 金剛願(こんごうがん)地蔵
 餓鬼道 …  宝珠(ほうじゅ)地蔵 又は 金剛宝(こんごうほう)地蔵
 畜生道 …  宝印(ほういん)地蔵 又は 金剛悲(こんごうひ)地蔵
 修羅道 …  持地(じち)地蔵 又は 金剛幢(こんごうとう)地蔵
 人 道 …  除蓋障(じょがいしょう)地蔵 又は 放光王(ほうこうおう)地蔵
 天 道 …  日光(にっこう)地蔵 又は 預天賀(よてんが)地蔵

『新富町史』の「資料編」には、各地区の六地蔵が掲載されていますが、その形態は地藏が六体配されているものがほとんどです。
各地区の六地蔵を見ていきましょう。
麓霊園の六地蔵は新しい地蔵で、昭和57年の墓地改葬時に建立されたようです。
 

          【写真1 麓霊園の六地蔵】

写真2は、五反田霊園の六地蔵。型式は仏像型で『享保二酉二月吉日』と刻まれており、1717年に建立されたものです。
左側から「金剛悲地蔵」「金剛宝地蔵」「金剛宝地蔵」「金剛願地蔵」「放光王地蔵」「豫天賀地蔵」の地蔵名が舟型光背に刻字されています。
「金剛宝地蔵」が2体ありますが、一般的には、ここに「金剛幢地蔵」が1体入ります。全体の高さは約79cm、地蔵部分は約43cm、像幅約32cm。
 

         【写真2 五反田霊園の六地蔵】

写真3は、鬼付女霊園の六地蔵。
六地蔵は入り口を入って、左側に配置されています。
型式は「円形竿型」と呼ばれるもので、建立時期は未詳です。
右側から「愍衆生(みんしゅじょう)」「(授)法眼(ほうげん)」「與大慈(『興大悲(こうだいひ)』)」「開善門(かいぜんもん)」「演慈辨(えんじべん)」「(杜(と))(三(さん))趣(じゅ)」と刻まれています。
全体の高さは、最も高いもので、128cm。
竿部分は文字通り円柱形で、円形竿部分の高さは64cm、周囲は77cmあります。

 

         【写真3 鬼付女霊園の六地蔵】

写真4・5は、宮ケ平(みやがひら)霊園の六地蔵です。
ここには、石幢型(せきとうがた)と呼ばれるものと、角柱竿型の2形態の六地蔵を見ることができます。
このように2形態見られる霊園は、町内では、柳瀬霊園があります。                                       
宮ヶ平霊園の石幢型の六地蔵は、全高が206cmあり、竿部分は四角柱で幅約39cm。
建立時期は、天文5年(1536年)で、銘文に「富田郷 願主 藤原氏 成合藤右衛門尉」とあります。
「富田郷」とは、新富町大字上富田、下富田地域を指すものと思われます。
石幢の龕部(がんぶ)と呼ばれる部分に地蔵が六体彫られています。

写真5の角柱型の六地蔵は、寛延4年(1751年)の建立。
銘文は右側から「南無地持(ちじ)地蔵菩薩」「南無法性(ほっしょう)地蔵菩薩」「南無寳陵地蔵菩薩」「南無寶印(ほういん)地蔵菩薩」「南無鶏(けい)(亀(き))地蔵菩薩」「南無陀羅尼(だらに)地蔵菩薩」とあり、順番は違いますが、六地蔵の標準的な名称が彫られてあります。
【注:(亀)は俗字のため、この字をあてた】

このように各地区には、六体の地蔵の名称が異なっています。
地区でどんな地蔵が信仰されてきたかを知ることができます。
また、建立から現在まで、人々のあらゆる願いをかなえてくれる仏として祈願され御参りされています。

皆さんもぜひ、身近な石仏散歩にでかけてみませんか。

 

  【写真4 宮ケ平霊園の六地蔵(石幢型)】

 

       【写真5 宮ケ平霊園の六地蔵(角柱型)】

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