いきいき健康課長の山本と申します。
4月14日に発生した熊本地震では、多くの方が被害に見舞われ、今も余震の影響で不安な毎日を過ごされています。
現在、全国各地で支援活動が行われていますが、新富町では町民の皆様から提供していただいた救援物資を届けるとともに、町職員による炊き出しを行いました。
私もその一人として活動してきましたので、一部をご報告いたします。
4月20日。
先遣隊5名で、皆様から寄せられたものを含む救援物資を積んで宇土市に向かい、被災地の状況を調査しました。

車両2台にブルーシートや救援物資を積み、一路、熊本県宇土市へ向かいました。

H28.4.20 熊本県宇土市内
破損のため、多くの家屋がブルーシートで屋根を覆っています。
お届けしたブルーシートも1時間足らずでなくなりました。

宇土市役所が崩壊のおそれがあるため、市民体育館に対策本部が設置されています。

市民体育館内には、対策本部のほか、救援物資の保管場所も設置されています。

水、おむつ、ブルーシートなどの物資を求めて、長蛇の列ができていました。

宇土市役所裏の公園広場です。
自宅でゆっくり休めないため、夜になると車中泊をされる方が多く集まって来られます。
広くて立地もよいと考え、4月21日以降の炊き出し場所をここに決めました。
4月22日。
21日から始めた炊き出しの2日目の様子です。

宇土市役所裏の公園広場に、炊き出し本部を設置しました。

正午に準備が完了し、約300名の皆様に豚汁を召し上がっていただきました。

第2班のメンバーです。
調理に設営に、みんな一致協力して頑張ってくれました。
【あとがき】
日本は地震大国であり、どの地域に住んでいても、いつこのような災害に遭うかわかりません。
今回の活動を通して、日常の大切さと、自分が災害にどう向き合い対応すればいいのか考えさせられました。
熊本地震により、今もなお行方不明となっておられる方の一刻も早い救助と、避難所で不自由な生活を送られている方々が早く日常を取り戻せるよう、心からお祈りします。
やっど!しんとみ、がまだせ!くまもと
会計管理者の桑畑です。
日向灘の絶景を一望する観音山公園に登られたことはありますか。
私は近くに住んでいながら、年1回程度しか登りません。
今回は、「観音山八十八ヵ所」についてご紹介したいと思います。
「エッ! そんなもん知らんかった。」といわれる方はおりませんか?
登山口から上り坂、周回通路沿いに並ぶ石像群を知っておられますか。
これは大正12年に信仰厚い富田村の人々によって大師像88体、観音像33体が設置され、「西国新四国八十八ヵ所」の霊地と呼ぶようになったものだそうです。
聞くところによると、当時、農作物が不作であり、尚且つ疫病が流行し、何とかこの厄を払いたいとの思いがあったようです。
奉賛会では、毎年「春分」の日に「富田観音八十八ヵ所例祭」として参拝者を接待する行事を盛大に行っていました。
しかし、太平洋戦争開始とともに自然消滅。
戦後、奉賛会は「観音山大師観音奉賛会」と改めて復活し、荒廃した石像及び周辺の整備を行いました。
現在は、奉賛会会員も少なくなりながらも、細々とではありますが毎年「お大師さん祭」を開催しているところです。
今年は、うるう年でありましたので、3月20日の日曜日に開催いたしました。
みなさん、来年は参加してみませんか。
①登山口(公園看板他)駐車場もありますよ!
②八十八ヵ所、三十三観音石標(いつもお花を供えていただき有難うございます。)

ここからやや急な上り坂がありますが、途中に休憩所もありますのでゆっくり登ってください。
春は桜を楽しみながら登れます。
③登りきると、ありがたい大師像がお出迎えをいたします。

ほんとのことを言うとここまで来たらほっとします。息を整えましょう。
④これは南東側から始まる一番の観音像(ここから右回りで一周しています。)

すぐ東側には灯台、展望台があり日向灘の絶景が見渡せます。
⑤通路に面し、整然と設置されています。寄進された人の名が刻んでありますよ。
⑥同上(いつもお花が供えられている石像も…)
⑦登坂の途中から見える町の景色

この日は桜もまだ一分咲き?程度。
このブログが掲載される頃にはもう散っているかも、来年をお楽しみに……!
観音山には無人灯台や展望所もあり、お弁当を持ってピクニックも楽しめますよ。
ぜひおいで下さいね!