新富町職員ブログ
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農地管理課長の河野です。

あるおだやかな休日の午後。
いつも孫たちにせがまれて遊びに来る、総合文化公園中央広場に来てみました。



この広場は、平成12年に新富町文化会館「ルピナスみらい」を建設したときに造られた広場で、完成して15年経ちますが、多くの方の憩いの場になっています。

広場の周りを見渡すと、北側にある平和公園の東斜面には、町の花・ルピナスが咲いています。
黄色いじゅうたんのようで、とてもキレイです。



広場の西側には、カラフルなコンビネーション遊具。
いつも子どもたちに大人気です。

また、広場の外周には桜の木が植えられていて、満開の時期になると、とてもきれいです。
今は、まだ「1~2輪」程度しか咲いておらず、まだまだ多くがつぼみです。
満開までには、もう少しかかりそうですね。



最後に、広場東側には新たに建設された総合交流センター「きらり」。
図書館や資料館なども入っており、4月13日(水)の開館が待たれてやみません。


いい天気の日には、こんな「春」を感じることができる総合文化公園中央広場に、親子で、家族で、友人で、遊びに行ってみてください。


2016年3月23日 農業の町、新富町!

農業振興課長の平塚貢一です。
新富町は、農業が盛んな町です。
一ツ瀬川河口付近の左岸の水田では、早期水稲・施設園芸(ピーマン・きゅうり・トマト・ズッキーニ等)の栽培が行われています。
高台の畑地帯では、甘藷・千切り大根・干し大根・茶の栽培や肉用牛・養鶏・ブロイラーの経営が盛んです。
今回のブログで全てを紹介することはできませんので、旬な話題を掲載します。

先ず、早期水稲の田植えの話題です。
写真①②は、早期水稲(コシヒカリ)の田植えの風景です。

写真①

写真②

3月末から4月中旬に田植えが行われ、7月下旬には収穫が行われます。
次の写真③④は、ライチの花です。
収穫は7月上旬から8月上旬に行われ、宮崎市内や東京のデパート等で販売されています。(昨年の収穫前の写真が⑤です)

写真③

写真④

写真⑤

さて、次の写真⑥⑦は何の作物か分かりますか。
作物名をお答えください。(答えは、最後に掲載しています。) 

写真⑥

写真⑦

最後にデンファーレの出荷前の写真⑧です。
周年出荷されています。

写真⑧

ここで旬な話題ではないですが、新富町は洋ラン(シンビジュウム)の栽培が盛んで11月から2月に出荷されています。
写真⑨⑩は1月に文化会館で行われた展示会の写真です。

写真⑨

写真⑩


写真⑥⑦の答え
ズッキーニ(英名:zucchini、courgette、学名:Cucurbita pepo L. 'Melopepo')は、ウリ科カボチャ属の一年生の果菜。果実の外見はキュウリに似るが、カボチャ(ペポカボチャ)の仲間。主に緑果種と黄果種がある。

ズッキーニは、次の写真⑪のようにダンボウルに箱づめして出荷されています。

写真⑪

最後に3月21日にバイクツーリングに参加しました。
目的地は大分県佐伯市鶴御崎灯台でした。
写真⑫⑬はツーリング途中の休憩中の写真です。

写真⑫

写真⑬

写真⑭はなんと駐車場で缶じゃないコーヒーを飲もうとしています。

写真⑭


 


いきいき健康課の東です。
モンゴル(青年海外協力隊)帰りの古川(写真のセンター)から時々、元気をもらい癒されています。
・・ジャンプして撮った1枚、顔が隠れた方、ピントがぶれた方、残念でした。
いきいき健康課は、保健予防グループと国保・高齢者医療グループで、町民の健康づくりに携わっています。

  3月は自殺対策強化月間です。
今月、毎週水曜日に、いきいき健康課職員が着用するジャンパーです。
癒し ~自然の恵みに癒されます~

こんな女性だらけの職場で働いている私ですが、今回のブログでは、新富町ならではの私の癒しスポットや好きなことなどを紹介したいと思います。

【湖水ヶ池 遊歩道】
生まれ育った場所です。
湖水ヶ池は、地元ではイケンカワと呼んでいます。
魚釣りやヤンマ(トンボ)つりをして育ちました。
蓮の実やヒシの実、土手に生えたツバナ等も食べていました。


【湖水ヶ池 レンコン堀】
レンコンのケタ堀りの様子です。
堀り方には、他に潜って掘る沖堀りとポンプ堀りがあります。


【蓮の実を食す(夏)】


【蓮の実の殻(冬)】
私が小さい頃は、子供たちは競って採っていました。
この様な殻など、残らないほど採っていたような気がします。
実の成長の段階で、ハナゴ、ダルマ、ナリカケ、ガランガランと呼び名がありました。
私の少し上の人たちは、半切り(樽)を浮かべて、それに乗って採っていました。


【つくし(3/12採)】


【つくしの天ぷら】
3月12日(土)、つくしを発見、天ぷらにして食べました。
そういえば、以前タラの芽採りもマイブームの頃がありました。


【シュロの葉で作ったバッタ】


【シュロの木】
妻が昨年、作り方を覚えたシュロの木で作ったバッタです。
宮崎では、以前よく作られていたという話を聞きましたが、私は初めて見ました。


【オイカワとモツゴ】
2年前の夏から自宅の水槽で飼っています。
湖水ヶ池で採れたモツゴ、鬼付女川上流で採れたオイカワです。


以上、私の癒したちでした。


2016年3月9日 新富町の石仏散歩

福祉課の若木家(わかきや)です。

今回は、『石仏散歩』として六地蔵を紹介します。
六地蔵は、寺院や墓地の入り口などにみられる石仏です。
六地蔵は、仏教の六道輪廻(ろくどうりんね)の思想である“全ての生命は6種の世界に生まれ変わりを繰り返すとする”に基づき、六道のそれぞれを6種の地蔵が救うとする説から生まれたものです。
六道とは、仏教において迷いあるものが輪廻するという、6種類の迷いある世界のことで、天道(てんどう、天上道、天界道とも)、人間道(にんげんどう)、修羅道(しゅらどう)、畜生道(ちくしょうどう)、餓鬼道(がきどう)、地獄道(じごくどう)のことです。

六道には、次のように六地蔵が配置されている場合が多いとされていますが、新富町では、必ずしもこのとおりとはなっていないようです。
 地獄道 …  檀陀(だんだ)地蔵 又は 金剛願(こんごうがん)地蔵
 餓鬼道 …  宝珠(ほうじゅ)地蔵 又は 金剛宝(こんごうほう)地蔵
 畜生道 …  宝印(ほういん)地蔵 又は 金剛悲(こんごうひ)地蔵
 修羅道 …  持地(じち)地蔵 又は 金剛幢(こんごうとう)地蔵
 人 道 …  除蓋障(じょがいしょう)地蔵 又は 放光王(ほうこうおう)地蔵
 天 道 …  日光(にっこう)地蔵 又は 預天賀(よてんが)地蔵

『新富町史』の「資料編」には、各地区の六地蔵が掲載されていますが、その形態は地藏が六体配されているものがほとんどです。
各地区の六地蔵を見ていきましょう。
麓霊園の六地蔵は新しい地蔵で、昭和57年の墓地改葬時に建立されたようです。
 

          【写真1 麓霊園の六地蔵】

写真2は、五反田霊園の六地蔵。型式は仏像型で『享保二酉二月吉日』と刻まれており、1717年に建立されたものです。
左側から「金剛悲地蔵」「金剛宝地蔵」「金剛宝地蔵」「金剛願地蔵」「放光王地蔵」「豫天賀地蔵」の地蔵名が舟型光背に刻字されています。
「金剛宝地蔵」が2体ありますが、一般的には、ここに「金剛幢地蔵」が1体入ります。全体の高さは約79cm、地蔵部分は約43cm、像幅約32cm。
 

         【写真2 五反田霊園の六地蔵】

写真3は、鬼付女霊園の六地蔵。
六地蔵は入り口を入って、左側に配置されています。
型式は「円形竿型」と呼ばれるもので、建立時期は未詳です。
右側から「愍衆生(みんしゅじょう)」「(授)法眼(ほうげん)」「與大慈(『興大悲(こうだいひ)』)」「開善門(かいぜんもん)」「演慈辨(えんじべん)」「(杜(と))(三(さん))趣(じゅ)」と刻まれています。
全体の高さは、最も高いもので、128cm。
竿部分は文字通り円柱形で、円形竿部分の高さは64cm、周囲は77cmあります。

 

         【写真3 鬼付女霊園の六地蔵】

写真4・5は、宮ケ平(みやがひら)霊園の六地蔵です。
ここには、石幢型(せきとうがた)と呼ばれるものと、角柱竿型の2形態の六地蔵を見ることができます。
このように2形態見られる霊園は、町内では、柳瀬霊園があります。                                       
宮ヶ平霊園の石幢型の六地蔵は、全高が206cmあり、竿部分は四角柱で幅約39cm。
建立時期は、天文5年(1536年)で、銘文に「富田郷 願主 藤原氏 成合藤右衛門尉」とあります。
「富田郷」とは、新富町大字上富田、下富田地域を指すものと思われます。
石幢の龕部(がんぶ)と呼ばれる部分に地蔵が六体彫られています。

写真5の角柱型の六地蔵は、寛延4年(1751年)の建立。
銘文は右側から「南無地持(ちじ)地蔵菩薩」「南無法性(ほっしょう)地蔵菩薩」「南無寳陵地蔵菩薩」「南無寶印(ほういん)地蔵菩薩」「南無鶏(けい)(亀(き))地蔵菩薩」「南無陀羅尼(だらに)地蔵菩薩」とあり、順番は違いますが、六地蔵の標準的な名称が彫られてあります。
【注:(亀)は俗字のため、この字をあてた】

このように各地区には、六体の地蔵の名称が異なっています。
地区でどんな地蔵が信仰されてきたかを知ることができます。
また、建立から現在まで、人々のあらゆる願いをかなえてくれる仏として祈願され御参りされています。

皆さんもぜひ、身近な石仏散歩にでかけてみませんか。

 

  【写真4 宮ケ平霊園の六地蔵(石幢型)】

 

       【写真5 宮ケ平霊園の六地蔵(角柱型)】


大渕から上流(西方)を望む

今回のブログ担当は、議会事務局長の河野です。
一ッ瀬川(入江を含む)のチヌ(キビレ)釣りについて書きます。

チヌ釣りを始めたのは今から30年ぐらい前、昭和61年頃だったと思います。
その頃は糸を巻き上げるときの独特の引き(コックンコックンという感じ)が面白く、また釣果を幼い子供たち、父母にまで自慢気に見せることが楽しく、後には舟まで手に入れて、よく入江や川に通っていました。
しかし時が経ち、子供たちが成長し父も15年前に亡くなると、だんだんと興味も失せて竿はホコリをかぶったままでした。
このブログの話があり、意を決して15年ぶりに釣りに行ってみました。

横江湛水防除前から南方を望む

先ず、一ッ瀬川左岸で、陸から大物(体長40㎝以上、重さ1キロ以上)を釣り上げた場所を教えます。
ここは、横江湛水防除施設の東側の浅瀬です。
満潮時、30m沖に入っても腰ぐらいの深さです。
と云うことは、干潮時には干潟となります。
こんな場所に、日が沈むと、チヌは餌を探しに寄ってきます。
昼間は釣れませんので、上げ潮で暗い時間、日の出前が狙いです。
ここは西風の強い時も釣りになります。

横江湛水防除施設から対岸を望む

通称「砂取り場」も良い場所です。
ここは、「濁し釣り」という釣り方で日中でも釣れます。
「濁し釣り」とは胴ナガを履いて、水の中に入り、砂を蹴上げて濁りを作り、チヌを誘き寄せて釣るスタイルです。
砂利を蹴上げる時の音も肝心です。
チヌは音にも興味を示しますので、覚えておいてください。

ここは左岸の導流堤です

夜釣りにも、一人でよく行きました。
釣り上げた場所の欄干には、マジックで印をつけたものです。
車横付けできるのも便利です。
昭和天皇崩御のまっ昼間、干潮時だったので竿を片手に下まで滑り下りて取り込みました。
今だったらとてもできません。

通称「千本杭」です

昔はたくさんの釣り人がいました。
今は堤防のかさ上げ工事の為、立ち入りができません。
ここは大物がかかってもテトラがあり、取り込みが難しいところです。

ここは井上えさ店の少し上流です

当時釣り人も少なく、早朝よく行ったものです。
「千本杭」同様、大きく長いタモが必要です。
タモは普段邪魔なものですが、いざという時にはなくてはならない品物です。

ここは井上えさ店の下流、昔「大渕球場」があったところ

左岸側は遠浅です。
船が係留されていますが、県の漁業振興センターのシラスうなぎ採取船のようです。
川底の深さが変わっているようです。
以前は、沖に50メートル入っても腰くらいの深さでした。
ここでは日中、上げ潮時でも「濁し釣り」で数釣りができました。

「砂取り場」付近

昔と様変わりしています、以前は車では行けませんでした。
底の様子も変わっているようです。

この夜最初に釣ったチヌ子

平成28年2月27日(土)午後7時半。
井上えさ店でシャコ1000円分を買い、大渕球場跡に到着しました。
午後8時15分満潮(潮位168㎝)、寒くはありません。
釣り方は、川にスクエアに30メートルぐらい投げ川下に流すやり方で、最後にウキは川岸に寄ってきます。
3投目で生後2年目のチヌ子がきました。
その後2匹目も同様でした。

良型のチヌを確保

午後9時ごろ、下げ潮に変わって1時間、ようやく良型がきました。
チヌ釣りのキーワード、「チヌは浅瀬にやってくる」です。
明日の朝また釣りに行くので、10時納竿しました。

三匹並べて写真撮影

こんな感じです。
釣りを始めた当初は、大きさを強調するため子供たちを寝ころばせ、いっしょに写真を撮ったものです。
当時の写真はどこにあるか分かりません。。

仕掛けです

5.4m竿に、道糸4号、40㎝のウキにケミホタルを装着しました。
ウキ下には遠投しても糸絡みしないように、クッションゴム40㎝が付けてあります。
勿論、大チヌに大合わせした時に糸切れしないためでもあります。

自慢の魚拓

参考までに。
平成元年11月、同じ場所で釣り上げた大チヌ(長さ45㎝、重さ1.7㎏、年齢不詳)です。
フナのように見える、メタボで不細工キビレです。
小潮の満潮から下げ、夜8時にガッンときました。
普通川下にウキをもっていきますが、この時は流れに逆らい、上流に向かって走りだしました。
合わせると道糸がビーンと鳴って切れるかと思いました。
当時は税務課に勤務しており、日課のごとく残業帰りに竿を振ったものです。
釣り上げて大変興奮しましたが、その様子は立ち寄った同僚の山本くんが現認者です。

平成28年2月28日(日)午前4時52分

今からまちおこし政策課の森川くんをアパートまで迎えに行きます。
二人で向かった先は「砂取り場」の浅瀬です。
中潮で8時59分が満潮で、ちょっとだけ寒かったです。
底の様子が読めません。
やっぱり、釣りたかったら、干潮時に海底の具合を調査しておくべきです。

ちっちゃなチヌです

ここでは寒い一月、一晩に五、六匹、一朝に1キロを二匹あげたことがあります。
体に霜が張り付いたこともありました。
結局この朝は、チヌ子二匹とスズキの子とフグが三匹でした。
森川くんが寒そうだったので納竿です。

川口のテトラ

7時ごろからサッパ釣りや黒チヌ釣りがテトラに上ります。ちょっと怖いです。

釣りを始め、数年後、一ッ瀬川に飽き、高鍋町の鴫野の浜や川南漁港にも行ってみました。
漁港周辺では全く釣れず、地元のおじさんに「チヌはどこら辺で釣れますか?」とたずねると、「ここ辺のもんはみんな一ッ瀬の河口に行きよるが!」でした。
嗚呼、灯台下暗しとはこのことです、よその町の人に一ッ瀬川の価値を教えてもらいました
一ッ瀬川周辺には、釣れるところがたくさんあります。
また機会がありましたら、「舟釣り編」でも書きます。

最後に、これを機にまたチヌ釣りをしょうかなと思ったところです。
その前に中古のスクーターを探します、車の中が魚臭くなりますから。

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