国指定文化財
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番号 |
名称・指定日 |
内容 |
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1 |
湯ノ宮の座論梅 指定年月日 |
湯之宮地区にある野生種の古い梅園です。もとは1本の木から増えたと言われ、神武天皇が立てた梅の木の杖から芽ぶき、元木になったとの言い伝えがありますが、その始まりは定かではありません。江戸時代の文献に歌が登場することから、今から300年前には今の梅園として有名だったようです。 |
座論梅の園内の様子
座論梅の花
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番号 |
名称・指定日 |
内容 |
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2 |
新田原古墳群 指定年月日 |
総数207基の古墳が旧新田村、町の北西部を中心に点在します。その集中部は祇園原(ぎおんばる)古墳群・山之坊(やまのぼう)古墳群・石船(いしふね)古墳群・塚原(つかばる)古墳群の4つの古墳群に分けられます。 |
百足塚古墳
百足塚古墳は祇園原古墳群にある前方後円墳うちの1基です。祇園古墳群の中では、4番目に大きい古墳となります。
平成9年から16年に整備のために発掘調査が行われています。調査の結果、全長82メートルの2段に造られた前方後円墳であり、埋葬施設が横穴式石室であったことがわかりました。古墳の周囲には盾形周溝と呼ばれる溝(内周溝)が掘られ、さらにその周囲を堤(周堤)が巡っています。一部ですが、堤のさらに外にもう一つ周溝(外周溝)が掘られている部分もありました。
また、百足塚古墳からは様々な種類の埴輪が出土しています。墳頂部やテラス、周堤には円筒埴輪が約1000本並べてありました。西側の周堤には人物や動物などの形象埴輪が60個体以上配置されていたようです。
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番号 |
名称・指定日 |
内容 |
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3 |
宮崎県百足塚古墳出土埴輪 指定予定年令和7年 |
平成9年から16年にかけて行われた発掘調査で、百足塚古墳の墳丘や周堤、周溝から多数の埴輪が発見されました。特に西側周堤の周辺を中心に、全体像が分かる形象埴輪が多数出土しています。 形象埴輪は、人物や動物、家や柵、甲冑や大刀や盾、太鼓など様々な種類におよびます。九州南部では埴輪を持つ古墳は少なく、これほど豊富な種類と量の埴輪を持つ古墳は今のところ百足塚古墳のみとなります。 形象埴輪は、出土状況から西側の周堤の上にまとまって配置されていたと考えられています。埴輪の種類と配置が、継体天皇陵だと考えられている今城塚古墳によく似ていることから、百足塚古墳の被葬者はヤマト政権と関係があったことがうかがえます。 また、隣接する陪塚の新田原62号墳からは、大きさや形状が同じ円筒埴輪が出土しており、百足塚古墳の円筒埴輪と同時期に生産されたとみられます。しかし、百足塚古墳のものに比べ焼き歪みや変形が激しいことから、それぞれの古墳に並べる埴輪へ区別があったと考えられます。 |
百足塚古墳出土埴輪
出土状況
踊る女性埴輪
両肩から帯をたすき掛けし、右手で服の裾をまくっている様子が表現されています。
髪は島田髷状にし、首には装飾品を身に着けています。
性別がはっきりとわかる表現や、女性埴輪では両足が形作られていることが特徴です。
踊る様子を表現しているとみられます。
太鼓形埴輪
側面や下の面に文様を施し、側面には皮を鋲で留めた表現がなされています。
一部に赤色顔料が残っています。
太鼓単体の出土は、百足塚古墳が全国で初でした。
現在も全国で4例しか出土しておらず大変珍しい埴輪です。
県指定文化財
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番号 |
名称・指定日 |
説明 |
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1 |
アカウミガメ及びその産卵地 指定年月日 |
アカウミガメを含むウミガメは地球上で7~8種類存在するとされ、それらは絶滅危惧種に指定されています。日本近海ではアカウミガメ、アオウミガメ、タイマイが産卵のために砂浜に上陸します。 |
産卵のために上陸するアカウミガメ
産卵するアカウミガメ
産卵のために上陸したアカウミガメは、約1時間ほどの時間をかけて卵をうみます。卵を生み始めるまでに、物音や明かりなどが近づいたら、産卵をやめて海に帰ってしまうこともあるので、気をつけましょう。
卵を産み始めたカメの眼からは涙を流すように見えますが、これは海のなかにいたときに眼に入った海水を出す様子で、悲しいからではないようです。
一度の産卵で80から120個の卵を産みます。後ろ足をうまくつかって穴を掘って、また埋めた後、産卵場所がわからないようにカモフラージュします。
50日ほどたってから穴の中から孵化した子ガメたちが一斉に海へ帰っていきます。
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番 |
名称・指定日 |
説明 |
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2 |
富田村古墳 指定年月日 |
旧富田村にあった古墳を総称して富田村古墳といいます、その分布は現在の大字上富田、三納代、日置の台地上で、総数58基が確認されます。 |
発掘調査された鐙古墳
昭和54年に調査された鐙古墳からは主体部から蛇行剣が、古墳周辺から陶質土器が出土し注目されました。5世紀中頃に造られた群集墳の一つです。
新富町で行う初めての学術調査でした。
北原牧地区の円墳群
昭和62年に調査台地上の北原牧地区からは、円墳10基、方墳1基が土盛を失い、堀だけが残った状態で発見されました。
近い位置で調査された上薗遺跡に住んでいた人々の墓と考えられ、6世紀後半を中心に造られた群集墳です。
弁指古墳のクビレ部
平成17年に調査した弁指古墳はやや長くて低い前方部を有していました。発掘調査では前方部から後円部とがつながる部分「クビレ部」を確認することができました。
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番号 |
名称・指定日 |
見どころ |
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3 |
新田神楽
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始まりは不明ですが、古くから新田八幡神社を中心に旧新田村で親しまれる神楽です。旧佐土原藩で近い位置にある 巨田神楽(宮崎市佐土原町)などに似るともいわれます。 |

神楽の舞台上に施される「天がい」

子どもによる鬼神

勇壮な蛇切り
新田神楽は秋から冬にかけて旧新田村の各地区の祭りや、古墳祭でも公開されますが、新田八幡神社の春の大祭が一番の見どころです。特に蛇切りは、わらでつくった2匹の大蛇を真剣で切りつける様を表現しており、勇壮そのものです。
町指定文化財
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番号 |
名称・指定日 |
見どころ |
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1 |
薬師如来像(やくしにょらいぞう) (昭和48年4月1日)
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もともとは新富町大字三納代字篠目にあった「蓮台寺(れんだいじ)」というお寺の本尊だったようで、明治時代始めにあった廃仏毀釈でお寺がなくなり、地域で保管するようになったようです。 |
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番号 |
名称・指定日 |
見どころ |
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2 |
元禄坊主踊り(げんろくぼうずおどり) (昭和47年2月10日) |
大字三納代の宮之首・平伊倉・矢床・奥の4ケ地区を中心に伝えられる踊りです。踊りの始まりは江戸時代後半ともいわれ、明治の中ごろに、宮之首地区の人々が町内の上日置地区から習い、その後、昭和8年に再び、町内の鬼付女地区に習い復興させたといいます。 |
元禄坊主踊りは、嫁女と奴、坊主の1組で構成されています。特に坊主が見ている皆さんのところに飛び出す所作は観客を沸かせます。かつては嫁女役を男が演じていました。
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番号 |
名称・指定日 |
見どころ |
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3 |
湯之宮棒踊り(ゆのみやぼうおどり) (昭和50年4月1日) |
「棒踊り」の始まりは、戦国時代に薩摩藩が朝鮮半島に渡った際に、軍の指揮を鼓舞するために舞われたのが最初といわれますが、もともと南九州に色濃く残った東アジア一帯に広がる踊りという節もあります。 現在、一般公開は休止しています。 |

湯之宮棒踊り保存会のみなさん

湯之宮神社で公開される勇壮な踊り
湯之宮棒踊りは、湯之宮地区の男性だけで継承されている踊りです。かつては、町内を巡回して公開していたこともあり、地域の風物詩として有名です。
湯之宮地区の秋祭りで、神社境内で奉納・公開されていましたが、現在は一般公開は休止中です。
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番号 |
名称・指定日 |
見どころ |
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5 |
春日(かすが)のいちょう |
大字新田の春日地区にあるイチョウの木です。高さ40メートル、幹周り12メートルあり、樹齢は400年ともいわれます。かつては寺の境内にあったといわれ、その様子は、栗唐瀬から遠謀できたといいます。 |
未指定の無形民俗文化財
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番号 |
名称・指定日 |
見どころ |
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三納代神楽(みなしろかぐら) |
三納代神楽は、三納代八幡神社を中心に伝承される神楽です。大字三納代一帯の地区の祭りや、同神社の大祭などで奉納されます。 |

